(人が亡くなった事に関する記事です。。)
8月下旬のある日、会社の6年下の後輩が亡くなりました。まだ、30代前半でした。
体のある部分に腫瘍が見つかり、ご実家のそばで治療するため会社を辞めたのが2年前。その後病院も退院し、東京に出てくる事もあったので元気になったのかな、と思っていたのですが。
亡くなったちょうどその日彼を知る人々と会う機会があり、そういえば彼はどうしているかねぇ、元気なんじゃないですか、なんて話していたところ翌日の訃報でした。
彼はとても飄々とした人で、「俺は俺は」という感じでもなく、仕事はきっちり淡々とこなしていました。そんな彼が世界の各地をバックパッカーをしながら旅してきたと聞いた時は意外でしたが、それ故の雰囲気だったのかも知れません。
彼のFacebookの文章はどことなくユーモラスで、ふっと笑えました。世界の各地で撮った写真からはとてもセンスを感じました。
彼が病気になってからブログを始めたのでそのブログも読んでいたのですが、かなり驚かされる内容でした。そのブログは「闘病」という言葉は似つかわしくないものだったからです。
ブログの冒頭で「誰かの参考になるように始めた」旨書かれているのですが、本当にその通りで自身の状態をとても客観的に、読む人にとって分かりやすく伝える内容になっていました。
職業柄、システムトラブルが起こった時など事実をきちんと筋道立てて文章にまとめなければならない・・・というシーンは多かったと思います。不謹慎にもそんな事を連想する程客観的でした。
「辛い」という言葉や絶望感は無く、ただ淡々と時にユーモラスに、本当に誰かの参考になるように書かれていました。そういう「思い」を綴る闘病記を否定する気はもちろん無いのですが、ただ、なかなかできる事ではない・・・と驚いたのです。
もちろんご家族やもっと親しい人との間では、きっと色々な会話があった事と思います。
父が40代そこそこで亡くなって以来「そういう事はある」という認識はあったのですが、やっぱり若くして亡くなるというのは辛い事ですね・・・。
月並みですが、亡くなった事でなく、やはり生きていた時の事に意味を求めたいです。彼がFacebookやブログをやっていてよかった、と心から思います。
あまりブログで辛い話はしたくないなと思っているのですが、このまま何も無かったかのようにもしたくない、申し訳なさもありつつ何か残したいと思いました。
ご実家は関西の奥の方で、お葬式に参列する事もままならずでした。彼と親しかったメンバーが彼を知る多くの人に声かけ、急ぎ弔電とお花の手配をしてくれました。きっと皆、彼が辞めてからもずっと気にかけていたのだろうと思います。
ご冥福をお祈りいたします。そしてありがとう。