品川で子育てしているSEのゆるゆる芋づる式日記

5歳3歳ボーイズを育てながら、中古マンションを新築そっくりさんでリノベーションしました!一応東大卒なフルタイムワーキングマザーの日常ブログです。

留年と〇回生の件

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さてぼちぼち大学の話はおいといていつもの雑記に・・・と言っていたのですが、まぁ大学の話も雑記ですが、一個思い出した事がありまして。

書いたかどうか覚えてないのですが、実は私大学一回留年しています(*´▽`*)

一応「公務員試験受けるため」という大義名分はあったのですが、友人には「この単位数、普通に留年できるよね」と言われていました。はっは。
(就職試験の話)
www.tonarinotororodesu.tokyo

法学部の留年率がとても高い件

ただ、言い訳しますと、実は東大の法学部は留年する人がかなり多く、当時
半分は留年する」と言われていました。司法試験や公務員試験受ける人が多いからだろうと思われます。

特殊例?としては応援部に入ったら全員留年と言う噂も聞いた事があります。違ってたら怒られるな。とりあえず私の同期の応援部の人は噂通りでした。

なお、本当に半分だったかどうかは知りません。。。

〇回生の件

おいといて本題。私の所属していた運動部では、毎年京都大学との交流戦がありました。おそらく運動部全般にあったのでは。他にも「六大学」「七大戦」(昔は七帝)などなど楽しかったです。

ただ、交流戦と言っても私達の頃は開催時期は毎年梅雨の時期でした・・・。なので、折角京大まで行ってもたいして試合できないまま(屋外スポーツだった)雨でずぶ濡れになって終わりという事もしばしば。近所の銭湯行って夜はがっつり飲んで、結局何しにいったんだか・・・まぁ楽しいからいいや、でした。

で、100年は続いているというその京大さんとの交流の中で我が部に輸入されたと思しきが「〇回生」というフレーズ。関西では〇年生ではなく〇回生というという、アレです。ただ、微妙にアレンジ入って「〇回生〇年」という言い方になっていました

普通は「N回生N年」と、回も年も同じ数なのですが、留年するとこれが「N回生N-1年」となる訳です。なかなか便利ではないですか。OB会の時の自己紹介等で使います。

東大には「駒留」(こまりゅう)なる、教養課程(駒場)から進学し3年生になる際に留年する事を指す言葉がありました。

教養課程から学部に進学する際には「進学振り分け」(しんふり)なる制度があり、人気の学科に入るにはそれなりに点数がよくないと入れない。その為しんふりで希望通りの学科に行くことができずあえて駒留の道を選ぶ人もいるとかいないとか。

もっとも、教養課程の文一・文二はそれぞれ単位さえ取れば法学部・経済学部に行けるので、そこで駒留はなかなか恥ずかしい。

と言いつつ私は1年の時必修だった情報処理でD(ドラ=不可)を取ってしまい、2年の時再履修するはめに。さすがに授業真面目に出て、さらにテストの余白になんとか進級させてください涙的なコメント書いて単位を取ったので、かなり危ないとこでした。。

だいたい、何も知らない中、いきなり端末Unixでしかも「Unixとはなんぞや」の説明なしに「ls -lを実行します」とか言われても分からんし・・・。(その後端末はWindowsになった。今は不明。)

脱線しましたが、そんなこんなでもし「駒留」すると、晴れて「3回生2年」という呼称が使えるようになる訳です。

・・・と思っていたのですが、なんと、先日こちらのおおたさんのブログを拝見すると実はその言い方は間違っていたらしい・・・!

www.hamashuhu.com
(おおたさん&その先のsmartstyleさんのブログとも愛読しております。)

ま、だからなんやねんて事っちゃ事なんですけど20年近く知らなかったわーという衝撃を受けたので、ちょっと言いたかったんです。

怖い人たち

さて、先ほど、「法学部は主に自主的に留年している人が多いと推測していた」と書いていたのですが、卒業式の時にそれだけではない衝撃的な事実を知りました。

卒業式は、大学全体の卒業式の後、学部ごと分かれて卒業式。学部の卒業式ではおそらく当時の学部長による祝辞が読まれていたのですが、その内容。

「本学部では、テストを受けた、すなわち卒業を希望しながらできなかった者が
80名あまりおりました。あなたがたは卒業できた事を誇りに思ってください。我々はあなた方のサポーターです(←当時日韓ワールドカップ等でサッカーが盛り上がっていた)。我々からの拍手をもって、この祝辞を終わらせていただきます」という締めくくり。

パチパチパチ・・・ちょ、待てよ、80人て。それもテスト受けてる中でって。
鬼か・・・!

※法学部には「卒論」はなく、ペーパーテストで単位を取るのみ。

お祝い気分が心のざわつきでどっか行った事をいまだに覚えています。なお、当時の法学部の学生数は1学年600人位でした。

あれかな、留年するつもりだけどとりあえず単位はある程度稼いどくか〜って人もきっとカウントされてるのかな。されてるよね。そう思いたい。

実はさらに大学全体の卒業式で総長だった蓮實重彦氏が祝辞(告辞)を読まれてて・・・と書きかけていたのですが、Wikipedia見たら私が卒業した頃には先生は既に退任されていたとの事。なので、私が覚えていたのは卒業式ではなく入学式のものだったようです。また勘違い。

なぜ覚えているかというと、ふんふんと聞いていたら、40分程したところで「・・・この式辞もまた、なんのつながりもなく終わりを迎えるのであります」と唐突に終わったから。

そんな訳でこの記事もなんのつながりもなく終わりを迎える事にします。

(懐かし写真。卒業写真の面影がそのままだったので、顔は隠し。)

※左です。念のため。