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品川で子育てしているSEのゆるゆる芋づる式日記

品川区での保活記録(2016年入園)、子育て、ドラマなどなど一応東大なミーハーSEが綴っています

2011年3月11日当時の日記 - 1

あまり気持ちの整理できないまま(何をもって整理なのか)6年が過ぎていました。

まとまりがないですが当時の日記を残したいな、と思ったのでアップしてみます。この当時はmixiを使っていたんだなぁ。ひさびさに開いたけどパスワード分かってよかった。。震災がきっかけで会社のとあるコミュニティに入りFacebookを始めて、そのうちmixi全然使わなくなったのでした。

震災ボランティアに行って言いようのない衝撃を受けたもののボランティアはなかなか続けられなくて、友人の投稿を読んで毎月一定額の寄付をするようになってまた何年か経ちました。その後、「震災」という時は「どの?」を言わないといけなくなってきました。原発について賛成も反対も言い切れず歯切れの悪いまま。

前置きが長くなりましたが、以下固有名詞をアレンジしたコピペです。私、この頃からつぶやき状態+分割派だったのか。

当時は独身で山手線の中の古〜い築40年くらいのマンションに住んでいました。
◇◇◇

地震発生時は会社(当時は湾岸寄り)にいた。最初はなんか揺れてるくらいだったが急に激しい横揺れに。すぐ収まるだろうと思っていたがだんだん激しくなり、危険を感じ机の下に潜る。
・キャスターつきの椅子が床を滑っていこうとするので、机に戻りながら片手で椅子の足をつかんで止める・・・という有様。
・いったん収まり机から出てくると、いろんなものが床に散らばっていた。
・プリンタ(大型)が50センチくらいずれてた。
スプリンクラーの誤作動か、天井から水が漏れているところも。
・オフィスの自販機が複数台倒れてた。

・余震もあり、事業所の外に避難するように指示あり事業所全員が外の駐車スペースへ。
・そのとき、PCと財布・携帯だけ持って、鍵等入っていたカバンはそのままにして外に出た自分は馬鹿だったと思う。その後中に戻れたからいいものの。
・外での待機は1時間以上。部門全員の安否ができるまで待機に。
・待ってる間、お子さんのお迎えがあるからという事でずっと「早く帰らせて欲しいんだけど」と言いつづけている人がいた。気持ちはそうだと思うけど、致し方ない状況で、誰もどうしようもない中一人言い続けるのはいかがなもんだろうと思った。

・建物の安全確認がとれた後待機が解けオフィスに戻ったら水道が止まってトイレ流れず。隣のビルのものを使用してくださいとのこと。オフィスは9階のためトイレに行きたい時は階段で9階上り下り。きつかった。
・あまり仕事に手がつきづらい状況だったのだが、皆なんだかんだ机に座ったらしれっと作業の続きをしたり何事も無いかのように報告文書作ったり。何かが染み付いてるなと思った。

・しばらくして、二次災害があるので社内待機を推奨とのアナウンスあり。
・その30分後くらいにビル内のコンビニに行ったところ、おにぎり・サンドイッチ・おかず類、全て売り切れていた。むべなるかな。
・会社の近所に住んでいるという方も、マンションから避難するよう言われたとかで帰れないと言っていた。

(少し直しつつ、続く)